ども、みやざき大好き編集長のよっしーことよしむらです。
※この記事は2021/11/21に書かれたリメイク記事です。
みなさんは大昔に宮崎県で外所地震(とんどころじしん)という大地震があったことをご存じですか?
外所地震は、今から359年前に日向灘沖(宮崎)で発生した地震で、宮崎県の大部分で震度5以上の揺れがあったと言われています。
僕もこの地震のことを最近知ったのですが、名称は聞いたことあるけど詳しくは知らなかったという方の為に記事として伝えたいと思いました。
日向灘沖で発生した外所地震の最大震度は6強!?
外所地震は、今から359年前の1662年10月31日(寛文2年9月20日)に、宮崎県の日向灘沖(北緯31.7度・東経132度)で発生したマグニチュード7.6の大地震で、津波マグニチュードは Mt 7.7、最大震度は6強(推定)もあったそうです。
宮崎県の大部分で震度5以上の揺れがあったと推定されており、佐土原藩領(現・宮崎市佐土原町)で6強、延岡藩領(現・延岡市)で5強とされています。
震度6強の揺れでは、人間は立っていることができず、這(は)わないと動けない状態だそうです。恐ろしい。
その時に発生した津波は、延岡から大隅半島(特に宮崎市木花地区)を襲い、高さは宮崎市付近で4~5m、延岡市付近で3~4m、志布志湾付近で2~3mと推定されています。
外所地震の被害は大きく、7つの村が水没
死者200人(資料によっては多数とされる)、家屋損害が約3,800世帯、7つの村が水没したとされています。
外所地震は、有史以来最大規模の日向灘地震で、1662年日向灘地震とも呼ばれているそうです。
木花(宮崎市)に「外所大地震追悼供養碑」があるということで行ってきました。
忘れない!50年ごとに建立される外所大地震追悼供養碑
供養碑は1つではなく、同場所に全部で7つあります。
過去の供養碑を残したまま、定期的に新しい供養碑が建立されて現在に至っているそうです。その間隔は50年(多少の前後はあるそうです)!
写真を見て7つあるのが分かるでしょうか?
写真の一番右側の崩れてしまっている碑が「50回忌」です。もう原型が分からないですね。
同じく崩れている右から二番目の碑が「100回忌」とされていいます。
生き残った者達が、津波災害の恐ろしさや地震の凄惨な被害を未来に伝えるべく、石碑に思いを込めで50年ごとに供養碑を建立されているそうです。
その思いは350年以上途切れることなく50年ごとの供養碑建立という形で現在に伝承され、子孫の代にあっても実際に追悼供養の機会をつくり、目に見える形で「忘れない」工夫をしているのですね。
外所大地震追悼供養碑
宮崎県で起こった地震でもう一つ有名なのがえびの地震
えびの地震(えびの市)は、今から53年前の1968年2月21日(10時44分50秒)に、宮崎県と鹿児島県境の韓国岳の北西15km付近を震源として発生したM6.1の地震です。
被害状況は、死者3名、負傷者44名、被災世帯数5,175世帯と激甚な被害が発生したそうです。
いろいろ調べているうちに、これから起こりえるかもしれない南海トラフ地震にも注意すべきだと改めて感じました。
「天災は忘れた頃にやってくる」という言葉があります。いいな思ったらこの記事シェアして忘れないようにしたいですね。
コメント